先日(16日)に急逝されました
下野村の自治会長の通夜式に
お参りしてきました
自治会連合の連合会長も務められていたので
大変な数の弔問客でごった返していました
改めて自治会長の存在が大きかったこと
村の大切な羅針盤が
いなくなったこと実感しました
本当に亡くなる直前まで普段通りに
何の変化もなく、その日は、
元職場のOB会の旅行で前日に準備をし
いつものように日課の朝の散歩を済ませ
朝食を普段通りにとり、
メダカのエサやりに裏庭にでて
倒れられたそうです
浄土真宗には
「白骨の御文」というのがありまして
本願寺派では御文章ともいいますが
蓮如上人が全国の門徒にあてた手紙ですが
その中に
「朝には紅顔ありて、
昨夜には白骨となれる身なり」
と言う一文があります
「朝には元気であっても、
夕には骨になってしまうかもしれない・・・
だから毎日悔いのないように生きよう」
と言う風に解釈して、
いつも隣保にお葬式ができると
導師としてお経(正信偈)をあげた後に
読んでいましたが・・・
改めて御文を意訳すると
さて、人間の内容の無い生活の様子を
よく考えて見ますと、およそ儚いものは
人間の生まれてから死ぬまでの間のことで
それは幻のような生涯です
それゆえに、
いまだ万年の寿命を授かった人が
いたなんてことは聞いたことがありません、
人の生涯は過ぎ去りやすいものです
今までに誰が百年の肉体を保ったでしょうか?
人の死とは・・・
私が先なのか?人が先なのか?
今日かもも知れないし?明日かも知れない?
人より後であろうが、先であろうが、
草木の根元に雫が滴るよりも
葉先の露が散るよりも多いといえます
それゆえに
「朝には血色の良い顔をしていても
夕には白骨となる身であります」
もはや無常の風が吹いてしまえば
即座に眼を閉じ
一つの息が永く絶えてしまえば
血色の良い顔が、むなしく変わってしまい
桃やスモモのような美しい姿を失ってしまえば
一切の親族、親戚が集まって嘆き悲しんでも
どうすることもできない・・・
そのままにはしておけないので
野辺に送り茶毘に付し
夜更けの煙と成り果ててしまえば
ただ白骨だけが残るだけです
哀れと言っただけでは言い切れない
人生の終わりは
年齢に関わりなくやってくる
だから、どのような人も
「後生の一大事」を心に留め置き
心から阿弥陀仏に頼み申し上げて
念仏申すべきであります。
horidenki
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