昭和60年、カット君25歳店を建てる!
ゆっきょさんから電気屋を託された
カット君・・・
揖保川にへばりつくように土手の直ぐ下に
新しく店舗を構え、本気の電気屋に?
創業時より三菱一本でやってきた堀デンキ
三菱には業界イチ良い商品がいっぱい!
しかしながら、弱い商品もいっぱい・・・
時代の流れに、三菱だけでは通用しないと
思ったカット君は、新しい部門を開拓すべく
某SH社と取引を始める・・・
その某メーカーは当時は2流メーカーで
めちゃくちゃ良いオンリーワン商品を
開発するんだけど・・・なぜか売れない?
目の付けどころはシャープなんだけど
なぜか売れない、直営の販売店も少なく
とびっきりの商品も作るが
安売り用の商品しか売れない・・・
カット君が新店舗をオープンするにあたり
その某メーカーの販促専門部隊の
ATOM隊が精力的に支援をしてくれて
チラシ作りから店内POPの作成
チラシ配りもお客様宅へ訪問活動
毎月1回のイベント!と
様々なアイディアと販売促進活動を
支援してくれました
そのPOPの書き方やチラシ作りを真似て
今でも役にたっています
安売り用の商品は売らない!
本当に良い商品を売る!SHやのに高い!
結果的にお客様の生活が快適便利になり
大変喜んでいただける、顧客満足度も上がる
そのころのSH社の担当はカット君と同年代
毎日のように店に来て、夜8時くらいにでも
店に来てました、寮生活で夜遅くに寮に
帰っても冷めたご飯をチンして食べる毎日
いつもカット君の晩御飯時分に店に来て
台所に上がって一緒に晩飯を食っていました
「お母さんお替りしても良いですか?」って
美味しそうにご飯を食べてくれて
男兄弟のいないカット君は下の名前で
呼び合い兄弟のように何でも話をしました
販社と販売店の垣根を超えたお付き合い
今では考えられない関係ですね
その数年後に三菱の経営塾がスタート
パパ&ママ+従業員さん1名とチラシ配りの
パートさん3名で年商1億円を目指そう!
と言う街の電気屋さんのための経営塾
それまでは、ほとんどのお店が顧客管理も
せずに、どんぶり勘定で中期、長期の
経営計画も立てることもなく、目標もなく
なんとなく商売をしてましたが・・・
このままではダメだ・・・
というコトで経営者としての自覚を持つため
毎月東京から講師を呼んで指導をしてもらい
夫婦同伴で勉強をする!
でしたが、当時カット君だけ独身・・・
夫婦で参加できないので、かじょちゃんと
いっしょに勉強をしました
毎月その経営塾の冒頭にみんなで
経営塾訓を唱和するのですが
「一、塾生は修正素直に学べ、そして勇気を
持って断じて行え、道は自ずから拓かれる」
「一、塾生の能力に差はない、
もしあるとすれば、それを実行し継続するか
しないかの差である」
「一、塾生は負けず嫌いに徹せよ、
勝気は人を不幸にする経営は
ハングリースポーツと同じである」
「一、塾生は絶望に強くなれ、その経験の
繰り返しこそ成長の過程である」
「一、経営は日に日に新たにしてまた新たなり
創意と工夫で明日への道を切り開け」
なんですが、30年経った今でもこの経営塾訓
を忘れることの無いようにカット君は
事務所に掲げています男の城(事務所)で
テレビを観ていると自然と目にはいります
三菱系列の全国の電気店さんが
この経営塾で学ばれました
もう、今はみんなで塾訓を
唱和することもありません
時代は令和ですから・・・
って唱和と昭和・・・令和
カケてみました・・・
スンマセン・・・
つづきは明日・・・
horidenki
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