まいどーっ!たつのの堀デンキのルーツを
語るカット君ですぅ~
なんでやねん?の、なんでを突き詰めたいと
昨日のつづき・・・
なんで昨日2点勝ち越した8回に
西続投で逆転されて・・・
なんでやねん?
んっ? ちゃうちゃう、
その「なんでやねん」とちゃうやろ!
そうそう、カット君なんで電気屋さん?
シリーズのなんでやねんの続き!
高度成長期の昭和38年
突然電気屋を始めた左官屋ゆっきょさん
座敷に扇風機並べたら、飛ぶように売れた?
調子の乗ったゆっきょさん・・・
しかーし本来左官職人で商売は素人
片手間での電気屋副業・・・
大きくなっ・・・?
い、いや、いや、ちっちゃいまま
年を重ねたカット君に・・・
「お前の好きな道に行け!」と電気屋は
しなくてもいい!と言ってくれて
カット君は、やりたかった料理人の世界に
調理師免許もとり、就職も料理屋さんに
内定したんだけど・・・
「やっぱり電気屋を継いでくれ!」と
このまま無責任に電気屋を辞めると・・・
お客さんに迷惑がかかる
ええーっ!好きな道にって言うから
国家資格も取ったのに・・・
今更、電気屋しろって言われても・・・
でも産まれて初めて親に頭下げられたら
イヤとは言えずに・・・
まったく電気の知識も経験も無いカット君
電気屋を継ぐには親父の時代のように
中途半端な気持ちではこれからはできない!
覚えなければいけないコトがいーぱい!
そこで、まずはモノを売るコトよりも
街の電気屋として、一番重要なコトと
いうコトで、三菱の修理会社に修行に
ズブの素人が電気ビリビリが怖い
ビビリの素人が、メーカーの修理会社で
修理技術を身につけるために、
初めて会社組織のなかに入りました
そこで技術や資格を取得するだけでなく
社会のルールや常識も教えてもらい
上司や先輩、人との繋がりもできました
電気屋グループの付き合いもカット君が
するようになり電気屋グループでは
飛び抜けて若いカット君は
親子ほど年の離れた電気屋さんたちに
随分と可愛がってもらいましたね
お母ちゃん(お姉さまかな)達からは
「フミヤ」と呼ばれ
今でこそ反町隆史って言われてますが
昔は「藤井フミヤ」だったんですぅ~
お父ちゃんやアニキたちからは
お客さん所に行くときは「まいどーっ!」
って家に入るところから教えてもらいました
その繋がりや経験が今では
カット君の財産になっていますね!
修理会社での修行を終えて
その後、姫路の電気工事店に2年間勤めて
電気工事を覚え調理師免許ぢゃない
国家資格を取りました(笑)
修理、電気工事と技術を身につけて
各資格も取得して24歳の時に店に帰り
いよいよ、電気屋を継ぐ、
しかし古いわらぶき屋根にトタン張った
家の土間を改装した店で電気屋が出来る
時代ではなくなっていました・・・
店に戻って1年、このままでは無理だ!
本気で、この地で電気屋を続ける意思表示
をするためにも、チャンとした店舗を
持ちたい!と思い始めた昭和60年・・・
バース、掛布、岡田がGの槇原から
バックスクリーンに3連発!3本目が
バックスクリーンに飛び込んだ時の
Gのセンターのクロマティーの後ろ姿が
まるで、入試で落ちて肩を落として
合格者ボードを見る受験生のようで・・・
その年阪神が日本一になりました!
その縁起の良い昭和60年
家の西の畑だった土地に
現在の2階建ての店舗を建てました!
堀家にとって初めて階段が付きました
店名も「堀電機商会」から
堀デンキに変え、カット君が店主になり
ゆっきょさんは植木屋に・・・?
なんで??
カット君25歳の年でした・・・
左官屋から電気屋?で植木屋??
なんで???
つづきは明日・・・
horidenki
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